母親と二人でご飯を食べている。隣の席は祖父母、親、子どもの三世代。楽しそうな声が聞こえてきて、ふと思う。「孫を見せられなくて、すまん」。 いや、ちょっと待って。その母親、いま目の前で自分の子どもとご飯を食べているんだけど。そこまでゼロ点扱いする?
隣のテーブルは、親孝行の採点表ではない
三世代の家族を見ると、「自分には足りないもの」が急に見えることがある。でも、隣の席に孫がいることと、自分の親が不幸であることは別の話だ。
親がうれしいことは人によって違う。孫に会いたい親もいる。成人した子とゆっくり話すのがうれしい親もいる。親子関係がよくなければ、帰省自体が負担になることもある。
本人に聞いていないのに「きっと母は孫がいなくて不幸なんだ」と決めると、自分が勝手に親の代弁者になってしまう。母役まで一人二役。配役を増やさなくていい。
「孫がほしい」と「子どもを持ちなさい」は違う
親が孫を望むのは自由だ。けれど、子どもを持つかどうかは、その人生を生きる人たちが決めること。
妊娠や出産、子育てには、身体への負担も、時間も、お金もかかる。パートナーがいるなら、二人で向き合う決定だ。親の願いが、そのまま誰かへの命令になるわけではない。
「親の望みをかなえてあげられない」と悲しむ気持ちはあり得る。それでも、悲しいから子どもを持たなければならない、とはならない。
親孝行スタンプカードの最後に「孫を納品」と書いてあるわけじゃない。
研究でも「孫がいれば必ず幸せ」とは言えない
祖父母と孫の関わりを調べた2022年の研究では、92本の論文に含まれる117件の研究を整理している。孫と別々に暮らしながら関わる祖父母では、健康や幸福とのよい関連が多かった。一方、親の代わりに孫を育てる祖父母では、負担との関連が多く、三世代同居の結果もまちまちだった。孫がいること自体が幸福の原因だと断定できる証拠も限られる。[1]
要するに、孫は「親の幸福度が自動で50上がる」アイテムではない。いる喜びもあれば、世話の大変さもある。いないから不幸、と一律には決められない。
同じように、成人した子と会うことが親にとってどんな意味を持つかも、回数だけでは決まらない。親と成人した子の接触頻度と関係の質は、親の状況などによって結びつき方が違うと報告されている。[2]
「月に何回帰れば合格」なんて点数表は、研究からも出てこない。
ご飯の途中でスマホを見ても、全部が台無しにはならない
久しぶりに帰省。最初は近況を話す。やがて母はテレビ、自分はスマホ。会話は途切れる。冷蔵庫を開けて、「それ私のプリン」と注意される。
感動の親孝行映画、上映終了。
でも、会話が途切れたからといって、一緒に過ごした時間が消えるわけではない。もちろん、相手が話したがっているのにずっと無視すれば寂しくさせるかもしれない。大事なのは、理想の親孝行を演じることより、その親との関係を見て接することだ。
「孫がいないから何も返せていない」と思ったときは、まず目の前にあるものを数え直してみる。帰ってきた。顔を見た。一緒にご飯を食べた。
その三つまでゼロ点にしなくていい。隣の席は、ただ隣の席である。
参考資料
[1] Danielsbacka, M., Křenková, L., & Tanskanen, A. O. (2022). Grandparenting, health, and well-being: a systematic literature review. European Journal of Ageing. https://doi.org/10.1007/s10433-021-00674-y
[2] Chai, H. W., Zarit, S. H., & Fingerman, K. L. (2020). Revisiting Intergenerational Contact and Relationship Quality in Later Life: Parental Characteristics Matter. Research on Aging. https://doi.org/10.1177/0164027519899576

