プリンがある。パンケーキもある。メロンソーダまである。
ここだけ見ると、『ちいかわ』の世界はずいぶん親切だ。おやつが充実しすぎている。ところが同じ世界で、ちいかわたちは草むしりの仕事へ行き、危険な相手を討伐する。
さっきまでデザートを食べていたのに、次の話では命の危険。落差が急すぎる。
どうしてこんな世界で、食べる場面がやたら印象に残るのだろう。
食べ物は「今日も無事だった」の合図
ちいかわたちが何かを食べて喜んだり、友達と分け合ったりする場面は、見ているだけで気持ちが緩む。
長い説明はいらない。おいしそうなものがあって、うれしそうな顔がある。それだけで「今は大丈夫なんだ」と伝わる。
しかもこの作品、ずっと平和ではない。怪しいものが現れたり、危険な仕事をしたり、急に怖い目に遭ったりする。だから食事の時間が、ただの背景ではなく、つかの間の安全地帯に見える。
怪物は勘弁してほしい。でもプリンは食べたい。 その切実さが妙に伝わってくる。
かわいい世界なのに、食べるために働いている
ちいかわたちは、草むしりや討伐をして暮らしている。これはアニメ公式のキャラクター紹介にも書かれている設定だ。
つまり、ごちそうを見て「いいなあ」で終わらない。かわいい生き物が食事を楽しむ裏では、仕事があり、ときには危険もある。
おやつを買うために働く。ここまでは私たちと同じだ。
ただし、こちらの仕事でいきなり討伐が始まることは、普通ない。
生活費を稼ぐ難易度がおかしい。
その厳しさがあるからこそ、食べ物を手にして喜ぶ姿まで、ちょっと特別に見える。
そもそも、その料理は誰が作った?
パンケーキやたこ焼きが登場すると、視聴者には完成したおいしそうな状態が強く残る。調理や流通の細かな説明より、「食べられる!」という喜びが先に来る。
すると、つい「この世界、食べ物がどこからともなく出てこない?」と考えたくなる。
でも、食べ物が自然発生する仕組みが公式に確定している、という話ではない。 ここは作品の見せ方から生まれる印象と、確定した設定を分けたい。
見ている側にとっては、料理の生産工程が分からなくても困らない。むしろ、食事の幸せと次に来る事件の落差がくっきりする。
食事のシーンが多いのではなく、食事が救いになっている
『ちいかわ』には、おいしいものを食べて笑う日常と、安心できない出来事が同居している。
だから食べ物が単なる小道具ではなく、友情を見せる場面にも、緊張から戻ってくる場所にもなる。怖い世界の中に、小さな幸せがちゃんとある。
かわいいご飯アニメだと思って見始めると、ときどき世界観がこちらの胃を殴ってくる。だが、その後でまたおいしそうなものが出ると、こちらも妙に安心する。
飯テロを見ていたつもりが、命からがらのおやつ休憩を見守っていた。
参考: アニメ『ちいかわ』公式・キャラクター紹介。食事の役割についての説明は、作中描写に基づく読み方であり、作者が明言した設定ではない。
