たとえば、アニメの登場人物が真剣な顔で黙り込む。そこへ「面接落ちた顔」とコメントが流れ、次の人が「採用担当も困惑」と乗っかる。
いや、今は世界の危機なんだが。いつから就活会場になった。
もちろん、これは説明用の架空の例。でもニコニコ動画では、こういう本編にない笑いがコメントから生まれる。なぜ一人で見るより面白く感じるのか。
一人目は「そこ気になった」だけでもいい
一人で面白いことを言おうとすると、気づきも言葉選びもオチも、全部自分で用意しなきゃいけない。
コメント欄なら分担できる。ある人が変な間に気づく。次の人が短くツッコむ。別の人が知っているネタにつなぎ、さらに次の人がボケを足す。
全員が天才芸人である必要はない。一人一行の持ち寄りが、いつの間にか一本のコントになる。原作にそんな台本はない。
コメントは「いつ出るか」が半分
同じ「なんでやねん」でも、ただ文章で読むのと、キャラが得意げに失敗した瞬間に画面を横切るのでは威力が違う。
ニコニコのコメントは、投稿した人がその場にいなくても、動画の決まった再生位置で流れる。だから後から来た視聴者も、昔の誰かのツッコミをちょうどいい瞬間に受け取れる。
リアルタイムで一緒に見ていないのに、画面の上には観客席がある。ずっと遅れて入場しても、ツッコミだけは開演時間ぴったりだ。
ボケが増えるほど、同じ場面が別の顔になる
初見では普通に感動した場面でも、コメントを付けて見直すと「そこに注目するの!?」が増える。空耳、妙な例え、過去のコメントへの返事が重なり、本編の台詞とは別の会話が進んでいく。
しかも古い動画にも、新しい視聴者が後からコメントを足せる。笑いは公開日で締め切られない。
ただし、画面を埋め尽くせば勝ちではない
ネタバレ、悪ノリ、同じ言葉の連投で、本編が見づらくなることもある。しんみりした場面を静かに見たいなら、コメントを消した方がいい。
つまりコメントは、必ず付けるべき正解ではなく、もう一つの見方を足すスイッチだ。
結局、誰が面白くしているのか
動画の作り手が一つ目の舞台を作る。視聴者が後から、同じ秒数にツッコミやボケを置いていく。
ニコニコ動画の面白さは、コメント欄に面白い人が一人いることではない。知らない人たちが、それぞれ一行だけ書いて、勝手に二本目の台本を完成させることにある。
主人公は世界を救っている。画面の上では、まだ面接が続いている。
