花火が上がっている。気になって、会場のほうまで歩く。
ドーン。きれい。もう一発、ドーン。
数発見たところで、ふと思った。
「あ、もう満足した。帰ろ」
屋台も寄らない。最後の大連発も見ない。花火大会なのに、ほぼ試食コーナーである。
でも、これって本当にもったいないのだろうか。
花火大会に「最後まで見る義務」はない
答えは、何を楽しみに来たかで変わる。
音楽に合わせた演出や最後の連発を楽しみたかったなら、早く帰って惜しくなるかもしれない。一方、「近くでどれくらい大きく見えるんだろう?」と確かめに来たなら、数発で目的を達成している。
観賞時間が短いからといって、体験の価値までゼロにはならない。夜の街を歩き、会場の雰囲気を見て、大きな一発を自分の目で確かめた。見た時間以外にも、ちゃんと何かが残っている。
もちろん、単に飽きて帰る日もある。そんな日まで「深い学びがあった!」と飾る必要はない。飽きたなら飽きたで帰っていい。
「ここまで来たんだから」が一番あやしい
帰ろうとしたとき、頭に浮かぶ言葉がある。
「せっかくここまで来たんだから、あと1時間ぐらい……」
しかし、歩いてきた時間はもう戻らない。心理学でいう「埋没費用効果」は、使ってしまった時間やお金のせいで、その後も続けたくなる傾向のことだ。1985年の研究でも、過去の出費が継続する判断を左右する例が報告されている。
では、すぐ帰るのが正解か。それも違う。「この先の30分に、まだ見たいものがある?」と考えればいい。
フィナーレが見たいなら残る。もう満足したなら帰る。「来るために30分歩いたから、現地でも30分消費しなければ」という謎の精算ルールはない。
一人だから、満足した瞬間に帰れる
友達と来ていたら、相手が見たい花火や食べたいものも大事だ。一緒に来た以上、帰る時刻は相談して決める。
でも一人なら、自分の「もう十分」がそのまま帰る理由になる。
好きなときに来て、好きなだけ見て、帰る。これも一人で出かける自由の一つ。余暇の研究でも、自分で選べる感覚が体験の楽しさに関係することが示されている。ただし、一人で短く帰るほうが誰でも幸せという意味ではない。
無理に長居する必要がないだけ。気が変わって最後まで見るのも自由だ。
行く前に決めることは、たった二つ
「大きな花火を一発見たい」など、何を見たら満足かを一つ決めておく。それができたら、残るか帰るか考え直す。
もう一つは安全な帰り道。暗い道、交通規制、公共交通機関の最終便を先に確かめる。花火が見えるからと私有地へ入ったり、関係のない店の駐車場を使ったりはしない。
何か買うことも、写真を大量に撮ることも、外出の合格条件ではない。
花火大会は、完走しなくてもいい
大きな音を聞いた。会場まで歩いた。何発か見た。満足した。帰った。
花火大会をRTAでクリアしたみたいだが、それでいい。
ただし、途中で帰って後悔したなら、次は最後の連発まで見よう。それも今回の体験から分かったこと。
「せっかく来た」より「この先、まだ楽しみたい?」で決める。花火にも、途中退出ボタンがあっていい。
参考資料
- Arkes, H. R., & Blumer, C. (1985). The psychology of sunk cost. Organizational Behavior and Human Decision Processes, 35(1), 124–140. https://doi.org/10.1016/0749-5978(85)90049-4
- Mannell, R. C., & Bradley, W. (1986). Does Greater Freedom Always Lead to Greater Leisure? Journal of Leisure Research, 18(4), 215–230. https://doi.org/10.1080/00222216.1986.11969661
