「相手にも事情があるし、本人も悪気はなかったかもしれないし、状況も複雑で……」
なるほど。で、どうする?
「一概には言えません」
会議が終わらない。深い話のはずなのに、出口だけがない。
いろいろな立場を考える人は、たしかに視野が広く見える。でも、何も決められない人との違いはどこにあるのだろう。
違う立場を並べるだけなら、まだ途中
恋愛番組で、誰かが約束を破ったとする。
「最低だ」で終わるのは早い。なぜ破ったのか、相手は何を期待していたのか、その場にどんな事情があったのかも見たい。
でも「事情は人それぞれです」で終わったら、今度は判断を放棄している。
深く考える人は、事情を理解することと、その行動を認めることを分ける。「不安だったのは分かる。でも約束を破ったことで相手は困った」という具合だ。
心理学には、異なる見方を見つけることと、それを結びつけることを区別する研究がある。ただ、研究上の考え方をそのまま「深い人」の公式ランキングにすることはできない。
いったん決めて、あとから変えられる
「確実ではない」と「何も選ばない」は違う。
たとえば旅行先を決めるとき、雨予報、予算、移動時間、同行者の希望を考える。全部に満点の行き先はない。そこで「今の予報ならAにする。大雨ならBに変更」と決める。
これは浅い即断でも、終わりのない迷いでもない。今ある情報で動いて、新しい情報が来たら直せる判断だ。
「私は間違うかもしれない」と認める姿勢は研究でも「知的謙虚さ」と呼ばれる。ただし、何にでも自信なさげに答えれば賢いという意味ではない。
深そうな言葉にも、試験問題がある
「宇宙の本質は、無限の可能性が自分自身と対話する場所だ」
おお、深い。……それで、具体的には?
意味が薄くても、もっともらしい言葉を深いと感じる場合があることは、実験研究でも扱われている。
見分けるなら、こんな問いが役に立つ。「なぜそう考える?」「反対の立場なら?」「何が分かったら結論を変える?」
答えを聞くほど話が具体的になるなら、考えた跡がある。説明を求めるたびに霧が濃くなるなら、穴を深く掘っていたのではなく、入口でスモークマシンを焚いていただけかもしれない。
大事なのは、答えを急がないことだけではない。複数の事情を壊さずに見て、必要なところで決めて、間違えば変えること。
深く考える人は、結論を出せる。結論に閉じ込められない。
参考資料
- 複数の視点を区別し、結びつける思考についての研究レビュー: https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC10546895/
- 知的謙虚さの研究レビュー: https://www.nature.com/articles/s44159-022-00081-9
- Pennycook et al. (2015), On the reception and detection of pseudo-profound bullshit: https://doi.org/10.1017/S1930297500006999
