帰宅しても、昼間の会話だけが頭の中で続いている。そんな夕方を想像してみる。買い物の寄り道を増やすほどの元気はないけれど、家の近くには、田んぼを見渡せる通行可能な道がある。少し歩いて帰る。それくらいなら、今日の予定に入るかもしれない。
田んぼのよさは、何かを買ったり、成果を出したりせずに眺められるところにある。もちろん、いつも涼しく静かとは限らない。それでも、条件のよい日に選べる休憩場所が一つあるのはうれしい。
風が吹くと、同じ緑が違う景色になる
稲が育つ時期には、風に押された葉が、手前から奥へと波のように傾く。水の張られた田には空が映り、収穫後には土や刈り株が見える。同じ場所でも、季節や天気で眺めは変わる。
足を止められる安全な場所で、遠くの雲と近くの葉を見比べる。虫の声が聞こえる日もあれば、農機の音がする日もある。「自然だから無音」と期待するより、今日は何が聞こえるだろう、と耳を向けるほうが気楽だ。
景色を全部味わう必要もない。揺れている一列の稲に気づいただけで、散歩の話題は一つできる。帰ってから報告する相手がいなくても、その発見はちゃんと自分のものになる。
田んぼに来たのに、仕事のことを考えてしまう?
歩き始めた途端、頭が空っぽになるとは限らない。さっきの返事を思い出しても、「せっかく来たのに」と採点しなくていい。考えごとが残ったまま、風の向きや足元にも気づく。そのくらいの寄り道で十分だ。
たとえば、「明日の朝、確認したいことが一つある」と気づいたら、帰宅後に短くメモする。今ここで解決できない話は、次に扱う時間を決めておく方法もある。これは試し方の一例で、思考を必ず止められる手順ではない。
散歩で職場の問題そのものが片づくわけでもない。話し合いや支援が必要な問題は残る。外に出る時間を、その問題に向き合う前後の休憩として使ってみる。
自然の中を歩く研究は、どこまで参考になるか
2015年の小規模な研究では、精神疾患の既往がない都市住民38人を、自然の多い場所か交通量の多い街路で90分歩く群に無作為に分けた。自然の多い場所を歩いた群では、自分について否定的に繰り返し考える「反芻」の自己報告得点が、歩行前より低下した。[1]
ただし、二つの群で変化量が異なるかをみる検定は p = 0.07 で、一般的な5%の有意水準を満たさなかった。自然の群だけで低下がみられたことから、「街歩きより確実に効く」とまでは言えない。
この実験の場所は草地などで、夕方の田んぼを調べたものではない。数分の散歩の効果や、うつ病の治療効果を示した研究でもない。「自分に合う休憩場所を試す参考」くらいに受け止めるのがよさそうだ。
最初は、帰り道がわかる短い往復から
行くなら、日が暮れる前に戻れる、歩行者が通ってよい道を選ぶ。初めての場所で夕焼けを追って奥へ進むより、「あの曲がり角まで」と引き返す目印を決めておくと、帰りの見通しが立つ。
歩く速さも距離も、その日の体調に合わせる。歩数を稼ぐために延長したくなったら、今日はひと息つきに来たことを思い出す。短い往復でもよいし、通路をふさがない安全なベンチで眺めるだけでもよい。
スマホで景色を撮りたいときは、安全な場所に止まってから。画面に夢中で水路へ寄ったり、車や農機の通り道をふさいだりしない。写真を撮らずに帰る日があっても、散歩は成立する。
田んぼは、誰かが働いている場所でもある
開けた景色でも、自由に入れる場所とは限らない。田や畦、作業区域へ入り込まず、立入制限や現地の案内に従う。通行してよいか不明なら、確認できる道や公園を選ぶ。稲に触れる、採る、ごみを残すといった行為も避けたい。
特に用水路やため池には近づかない。農林水産省の九州農政局も、転落事故や死亡事故が続いているとして注意を促している。[2] 水辺をのぞき込むために道を外れる必要はない。足元や路肩が見えにくくなる前に戻ろう。
暑さが残る日、大雨や雷が心配な日、農作業や薬剤散布をしている場所では、時間や場所を変える。虫が苦手なら無理をせず、肌を覆う服装なども考える。「夕方だから快適」と決めつけず、その場の条件で選び直す。
近くに田んぼがなければ、どこで休む?
候補は、木の見える公園のベンチ、見通しのよい遊歩道、静かな庭など。遠出の準備や交通費で疲れるなら、近くで安全に過ごせる場所のほうが使いやすい。田んぼであることより、行き帰りを含めて負担が少ないかを考えたい。
外に出づらい日や、歩くことが難しい人は、室内から空や木を眺める時間にしてもよい。これは散歩と同じ効果があるという意味ではなく、休憩の選択肢を狭めないための提案だ。人の少なさが不安につながるなら、明るく人目のある場所を選ぶ。
気分の落ち込みや眠れなさが続き、生活に支障があるときは、散歩だけで何とかしようとせず、医療機関などに相談する。外に出られない自分を責める材料にしないでほしい。
帰宅後に残すのは、よかった景色を一つ
帰ってきたら、気分が何点上がったかより、「風で稲の色が変わって見えた」「今日は虫の声が大きかった」と、一つ思い出してみる。何も浮かばない日は、そのまま終えてよい。休憩にまで成績表をつける必要はない。
田んぼ道が身近にあれば、天気と足元を確かめて、小さく寄り道してみる。考えごとを全部置いて帰れなくても、夕方の空を見た時間は残る。次の予定を始める前に、それくらいの余白があってもいい。
参考資料
[1] Bratman, G. N. ほか(2015)“Nature experience reduces rumination and subgenual prefrontal cortex activation.” PNAS, 112(28), 8567–8572. https://doi.org/10.1073/pnas.1510459112
[2] 農林水産省 九州農政局「農業用水路(ため池、用水路など)の危険を知ろう!」 https://www.maff.go.jp/kyusyu/keikaku/natsuyasumi.tameike.kiken.html
