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リリンクER復帰記:フルアシストと仲間育成で変わった「自分で戦う」楽しさ

『グランブルーファンタジー リリンク』を久しぶりに再開し、『Endless Ragnarok』(以下、ER)の終盤まで進めた。

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『グランブルーファンタジー リリンク』を久しぶりに再開し、『Endless Ragnarok』(以下、ER)の終盤まで進めた。以前はプロトバハムートを倒し、装備やジーンもある程度そろえて、ルシファーに挑めるところまで来ていた。それでも、間が空くと操作も敵の攻撃パターンも忘れてしまう。高難度の戦いに戻るのは、もっと大変だと思っていた。

ところが今回は、フルアシストと育てた仲間にずいぶん助けられた。自分の操作を一から鍛え直すより、パーティーの装備や構成を整えるほうに夢中になっていた。やがて、最後に挑んだラグナリオン戦まで突破。「自分で敵を倒す」つもりで戻ったゲームが、頼れる部隊を作り、その働きを見届ける遊びに変わっていた。

以下はER終盤の敵や演出に触れるプレイ感想だ。進行順や勝ち方は自分のプレイ時のもので、全員が同じ順番、同じ難しさで体験するとは限らない。また、操作キャラクターを補助するフルアシストと、自律的に動く仲間CPUは別の仕組みだ。ここでは、その両方を利用したパーティーを、少し大げさに「フルアシスト軍団」と呼んでいる。

操作を忘れた自分より、仲間のほうが落ち着いていた

復帰してすぐのルシファー戦は、画面を見ているだけでも忙しかった。パラダイス・ロストをまともに受けたくないし、上下左右から飛んでくる攻撃は、もはや「ブドウみたいな何か」にしか見えない。自分で避けようとすると、危険を見分ける前に次の攻撃が来る。

その横で、仲間たちは淡々と攻撃し、回避し、リンクアタックを決め、奥義ゲージをためていた。自分の操作キャラクターにもフルアシストの補助が入り、手動では追いつかなかった場面を乗り切れる。こちらが「えぐい、えぐい」と言っている間にも、戦闘は着実に進んでいく。

指揮官のつもりでいたのに、実際には戦場に立っている観客に近い。その落差がおかしかった。ただし、これは当時の装備や育成、編成でうまくいったという話で、どんな攻撃も必ず避けるという意味ではない。画面を見て、移動や仕掛けへの対応が必要な場面を確認することは残る。

公式のシステム紹介でも、ERでは新難度CHAOSを含め、エンディング到達までのクエストすべてでアシストを使えると説明されている。旧作のMANIAC/PROUDでは非対応だったため、以前の制限だけを覚えていると、この復帰のしやすさには驚く。

パラダイス・ロスト、ジ・エンド、そして実技試験

終盤で印象に残ったのは、敵が次々に課題を出してくることだった。パラダイス・ロストでは猛攻をしのぎ、ジ・エンドでは時間内に必要な火力を出す。さらに生存、位置取り、仕掛けの処理、走って移動する区間まであり、一連の戦いが実技試験のように感じられる。

もちろん、ここで挙げた技や課題をすべて同じ敵が同じ順番で使う、という攻略手順ではない。ルシファー戦を含む終盤の体験を振り返ると、「今度は何を試されるのか」という印象が強く残っている、ということだ。

演出もいちいち大げさで、こちらには「これを耐えられるか」「ならば次の試練だ」と言われているように聞こえる。世界の命運をかけた戦いなのに、突然「はい、ここから走ってください」と始まる。最終決戦に持久走の実技試験まで入っているとは思わなかった。

その大仰さに対して、育てた仲間たちの仕事ぶりは妙に落ち着いている。必要な移動や操作には自分で対応しつつ、攻撃や回避を任せられる部分は任せる。試験官が得意げに問題を出すたび、こちらの部隊が次の課題へ進んでいく。その温度差が面白かった。

試練を出し続けた側が、最後に負ける

敵側の気分を想像すると、さらにおかしい。圧倒的な力を見せつけ、挑戦者を何度も試しているつもりなのに、その挑戦者がなかなか脱落しない。それでも余裕の態度を崩さず、次の課題、また次の課題と出してくる。

こちらには「ここまで来るとは」「だが、次はどうかな」「これが最後の試練だ」という調子に見える。これは台詞の正確な引用ではなく、演出から受けた印象だ。何度も「最後」を更新しているうちに、結局は試す側が負けてしまう。

相手の愛情や能力を何度も確かめていたら、とうとう見限られた人のようでもある。戦いのはずなのに、試し行為のやりすぎを眺めている気分になってくる。

自分がすべてを手動で切り抜けていたら、もっと必死だったと思う。仲間とアシストに助けられたおかげで、敵が一人で盛り上がり、課題を増やし、最後に負けるという演出の可笑しさを味わう余裕ができた。

ルシファーとバハムートの後に見たラグナリオン

敵の存在感という点で、ルシファーは強烈だった。神話的な姿、終末を思わせる演出、パラダイス・ロストやジ・エンド、専用の音楽。プロトバハムートにも、桁外れに大きな存在と戦っている実感がある。

そうした相手を経験してから、自分が最後に挑んだラグナリオンを見ると、第一印象は少し拍子抜けだった。最初はゴーレムか獣のように見え、よく見ると大きなドラゴンに見える。自分の中では「ドラゴンを倒してから神へ」というRPGの順番があったので、その逆をたどったように感じた。

「最後のラグナリオン」という呼び方からも、絶対的な悪より「最後に残った一匹」を連想してしまう。世界を滅ぼす敵というより、絶滅危惧種の最後の個体を倒しているような、妙な寂しさがあった。

ただ、公式の世界紹介では、ラグナリオンは各地に現れた強大で正体不明の変異個体として紹介されている。「最後の一匹」というのは名前から広がった自分の連想で、種全体の生存状況を確認した話ではない。

姿や動きにも見覚えがあり、完全に未知の最終ボスというより、これまでの大型ボスを思い出した。だから「最後、これでいいのか」という気持ちは残った。ただし、似て見えたことと、実際に制作素材が使い回されていることは別だ。制作事情まで分かったわけではない。

フェディエルの説明を聞いても、謎は残った

終盤には、オムニス・ゼーガリスという大きな存在を感じさせる名前も出てくる。世界の成り立ちや危うい力に関わる話を聞いているはずなのに、自分の理解はなかなか追いつかない。

説明を聞いていた相手はフェディエルだ。公式の人物紹介では、六竜の「黒」であり、闇を統べる世界の「楔」とされている。知識のない人物というわけではなく、むしろ世界の仕組みに近い側の存在だ。

それでも、壮大な説明のあとに推測の余地が残ると、自分の耳には「多分こいつら、すごそうやで。知らんけど」くらいに聞こえてしまう。これは説明を聞いた側の冗談で、フェディエルの実際の台詞でも、設定の要約でもない。オムニス・ゼーガリスが何かの材料だと断定するつもりもない。

話の規模と、自分が持ち帰れた理解の小ささが釣り合っていない。つい「あの大きな角を維持するほうに処理能力を使っているのでは」と茶化したくなるが、置いていかれているのは説明する側より、聞いている自分なのかもしれない。

画面は派手でも、自分の環境では遊びやすかった

最後のほうまで進めて、改めて気持ちよかったのは動作の安定感だった。巨大な敵が動き、レーザーが飛び、爆発とエフェクトが重なり、味方も一斉に大技を使う。画面には相当な情報量があるのに、自分が遊んだ環境では、派手さから想像するほど重く感じなかった。

モンスターハンターのような大型の敵と戦うゲームで、これだけ画面が光ったら自分の環境はどうなるだろう、と考えた。ただし、同じ機器、設定、場面で測った比較ではない。リリンクのほうが常に軽い、という性能評価ではなく、プレイ中の素直な感想だ。

戦闘ステージの作りや描画範囲、エフェクトの見せ方にも工夫があるのだろうとは思う。けれど、内部の最適化方法を確認したわけではないし、機種や画質設定、更新によって動作は変わる。

それでも、画面を追い切れない自分の横で、ゲームも仲間たちも落ち着いて動いている光景は印象に残った。「何が起きているんだ」と取り残されていたのは、少なくともそのときはプレイヤーのほうだった。

最後は全員の奥義。もう倒れているように見えるのに

ラグナリオン自体の存在感には物足りなさがあったが、戦いの締まり方はよかった。一人目の奥義に二人目が続き、三人目、四人目とつながる。そしてプロトバハムートが現れ、大きな一撃で締める。こちら側の演出だけで、十分に最終決戦らしい絵になっていた。

見ていて笑ったのは、一人目の奥義の時点で、相手のHPがもう尽きたように見えたことだ。それなのに、仲間たちの大技は順番に続く。自分には、全員参加の丁寧すぎるオーバーキルに見えた。

もっとも、HP表示から受けた印象と、ゲーム内部でいつ撃破が確定するかは同じとは限らない。また、四人の奥義をつなげれば必ずプロトバハムートが出るわけでもない。公式に説明されているアセンドチェインは、一定の条件を満たしたうえで四人の奥義連携を成功させる仕組みだ。

自分が見たフィニッシュでは、その派手さが敵に足りないと感じた迫力を補ってくれた。「最後のラグナリオンを倒した」というより、バハムートの一撃で物語を神話級の大きさに引き戻したような終わり方だった。

プレイヤーは戦場より、出発前に働いていた

クリアタイムは自分の感覚では速く、評価もよかった。仲間は攻撃し、避け、奥義を撃つ。自分の手元はそれほど忙しくない。ここまで来ると「自分、いらなくないか」と思えてくる。

でも、戦闘前を振り返ると、やっていることは多い。誰を編成するかを決め、装備をそろえ、ジーンを選び、アビリティの組み合わせを詰める。火力だけでなく、生き残って攻撃を続けられるかも考える。その準備をしたうえで、仲間を戦場へ送り出していた。

ゲーム自体がアクションRPGでなくなったわけではない。自分の楽しみの中心が、操作の上達から、育てたパーティーが働く姿を見ることへ移ったのだ。少なくとも今回の復帰では、回避を一から覚え直すより、育成と構成を見直すほうが進めやすかった。

「フルアシストを育てるゲーム」と言いたくなるが、育てているのは機能そのものではなく、操作キャラクターと仲間たちだ。アシストが働きやすい状況を準備する。その意味では、自分は不要になったのではなく、仕事をする場所が戦場から出発前へ移っていた。

世界の果てには、本当に端があるのだろうか

ラグナリオン戦を終え、物語をひと区切りまで見届けても、世界への疑問は残った。ルリアの話を聞きながら気になったのは、この空の世界がどこまで続いているのか、ということだった。

島々が空に浮かび、その間を船で渡っていく。そんな世界を、現実の地球と同じ球体として想像してよいのだろうか。進み続ければ反対側から戻ってこられるのか。それとも、文字どおりの端があるのか。

空の果てに巨大な壁があるのかもしれないし、こちらの想像が及ばない構造なのかもしれない。異世界や星の民、世界の理が関わってくるなら、現実の惑星と同じ仕組みだと決めつける理由もない。ただし、これはプレイ後に広がった想像で、公式に世界の形がそう定められているという話ではない。

目の前の敵は倒せても、世界全体が分かったわけではなかった。最後まで進めたことで、むしろ「この世界は結局、何なのだろう」という疑問が大きくなった。

終わった後は、どこまで仲間に任せられるか

試練を越え、ラグナリオンを倒し、プロトバハムートの一撃まで見届けた。自分が追っていた物語はひとまず区切りがついた。残る楽しみは、装備やジーンの厳選、キャラクター育成、タイムアタック、高難度の周回へ移っていく。

その先も、自分は手動操作を極めるだけの方向には進みそうにない。仲間をもっと強くし、編成を調整し、どの場面まで手を出さずに任せられるかを確かめたい。少ない操作でS++を狙える部隊を作る、という目標もある。これは今後の試みで、あらゆるクエストを完全放置でクリアできたという実績ではない。

公式のアシスト対応説明は、ERのエンディング到達までが範囲だ。クリア後の全コンテンツにもそのまま当てはめず、利用できる難度やクエスト、必要な手動操作を確かめながら遊ぶことになる。装備、編成、育成、ゲームの更新によって、任せられる範囲も変わる。

普通なら、自分の腕前をどこまで高められるかを試す場所かもしれない。自分には、準備を重ねることで、戦闘中の自分の出番をどこまで減らせるかを試す場所になった。最後の試練を越えたときに誇らしかったのは、華麗に避けた自分より、育ててきた仲間たちだった。

敵への物足りなさを、仲間が締めてくれた

ルシファーやバハムートの後で見たラグナリオンには、どうしても物足りなさが残った。最後の生き残りを連想させる呼び方も、説明を聞いてなお残った世界の謎も、すっきりした決着だけを求めるなら引っかかる。

それでも、全員の奥義がつながり、プロトバハムートが締めた瞬間はよかった。試練を次々に出していた敵より、準備してきたこちらの部隊の働きが、最後には主役になっていた。

何より、操作を忘れていた復帰プレイヤーでも、フルアシストと仲間の育成に助けられながら、ここまで進めた。攻撃がブドウに見える日でも、手動で全部をこなすことだけが楽しみ方ではない。装備を考え、仲間を選び、必要なところでは手を貸す。その積み重ねにも、ちゃんと遊んだ手応えがある。

主人公が戦っていないわけではない。画面の中では、仲間と一緒にしっかり戦っている。ただ、その一撃一撃を自分の手で入力しなくても、世界を救った充実感は残った。今回のリリンクERで見つけたのは、そんな「自分で戦う」以外にも広がる楽しさだった。

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