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そもそも、なぜガンダム戦にアムロが出てくる?

ようやくΞ(クスィー)ガンダムの本格バトルだ! と思ったら、戦闘中のハサウェイの頭にアムロが現れる。しかもハサウェイ、アムロに言い返す。相手の機体とも戦い、自分の脳内とも口論。操縦席、忙しすぎない?

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※『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ キルケーの魔女』のレーン・エイムとの戦闘場面までのネタバレがあります。

ようやくΞ(クスィー)ガンダムの本格バトルだ! と思ったら、戦闘中のハサウェイの頭にアムロが現れる。しかもハサウェイ、アムロに言い返す。相手の機体とも戦い、自分の脳内とも口論。操縦席、忙しすぎない?

結論から言うと、あのアムロは「ハサウェイが避けてきた過去」を突きつける存在として描かれている。ただし「死者の霊なのか、頭の中の声なのか」を映画の外から一言で決めつける必要はない。

そもそも、なぜガンダム戦にアムロが出てくる?

引き金は、レーン・エイムの乗るアリュゼウスだ。

この機体は量産型νガンダムを内部に組み込んでいる。監督の村瀬修功は、νガンダムをハサウェイの心にある「秘密」を引き出すきっかけとして登場させたと語っている。

だから、ただの強敵登場では済まない。ハサウェイにとってνガンダムの姿は、『逆襲のシャア』で体験した出来事への入口でもある。

やっと大迫力のモビルスーツ戦が始まったのに、コックピットでは昔の記憶まで起動。敵は最新機体、心の中は12年前。 仕事を同時に増やしすぎである。

アムロは本当にそこにいるのか?

ここは、画面で見えていることと意味の読み取りを分けたい。

映画にはアムロとハサウェイのやり取りが描かれる。一方、公式が公開後に紹介した映像は、この戦闘を「少年時代の心の傷がよみがえる場面」として説明している。ハサウェイは、マフティーとしての使命と、自分が過去にしたことへの後ろめたさの間で揺れている。

つまり、少なくとも物語の中心は死者の登場そのものではなく、ハサウェイが抱えたままの問題だ。

「アムロの霊が本当に来た」と断定する根拠にはならないし、逆に登場人物へ医学的な診断名を付ける話でもない。ここでは、ハサウェイの内側に現れたアムロとして読むのが筋の通った見方だ。

なんで、自分の頭に出たアムロに自分でキレるの?

自分の判断に不安があるとき、頭の中でこんなやり取りをすることがある。

「この選択は正しい」

「でも、昔のあれはどうする?」

「今やっていることには意味があるんだ!」

※これは場面の仕組みを説明するための例えで、映画の台詞ではない。

ハサウェイの場合、その反対意見を言う役がアムロの姿をしている、と考えると分かりやすい。

アムロはハサウェイにとって、ただの有名なパイロットではない。自分の過去を思い出させる、逃げ場のない相手だ。だからアムロへ反論する姿は、同時に自分の後悔へ言い返している姿にも見える。

ここが妙に面白い。心の中に反対派を招き、自分で会議を開き、自分で怒る。

参加者2名。実質1名。議論は終わらない。

絵柄まで『逆襲のシャア』に寄るのはなぜ?

アムロの場面で、映像の雰囲気まで昔に戻ったように感じるのにも理由がある。

村瀬監督によると、『逆襲のシャア』の場面は昔の映像をそのまま貼ったのではなく、新しく描き起こした。ただし、元の絵コンテや動きをできるだけ変えず、当時の力強さを再現しようとしたという。

ハサウェイの頭の中だけでなく、観客が見ている映像まで過去へ引き戻されるわけだ。

「昔を思い出しています」の字幕を出す代わりに、画面全体を記憶の中へ連れていく。作画まで巻き込む回想、豪華すぎる。

結局、いちばん怖いのはアムロよりハサウェイ

ハサウェイは、激しい戦闘を続けながら過去の記憶にも揺さぶられている。それでも機体を動かす技量はある。

戦うのがうまいことと、自分の心を整理できていることは別なのだ。

だから、あのアムロは「懐かしいキャラの特別出演」だけでは終わらない。ハサウェイがずっと背負っていたものを、観客の目の前に引っぱり出す役目をしている。

Ξガンダム対アリュゼウスだと思って見ていたら、もう一つの対戦カードが始まっていた。

ハサウェイ対ハサウェイ。しかも対戦相手の顔がアムロ。

そりゃ、頭の中までうるさくなる。

参考資料

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