仕事の話には共感する。それでも自分から記事を探すとは限らない。仕事論とAIの使い方で検索行動が違う理由を考える。
仕事の愚痴は盛り上がる。でも帰宅してスマホを開き、わざわざ仕事論を検索するだろうか。
読めば共感する話と、自分で探してでも答えを知りたい話は違う。
あるサイトで仕事論の閲覧数を調べたところ、10月11日から15日23時20分までの5日間で7、0、2、20、2回。合計31回で、検索参照元として観測されたのは1回だった。12言語合算の数字だ。これだけで仕事論全体に需要がないとは言えないが、少なくともそのサイトのアクセス増加を引っ張ってはいなかった。
一方、AIの使い方の記事は題名と本文を直した後に閲覧が増えたという観察がある。ただし修正の効果と断定するには、検索表示回数や流入元の比較が必要だ。AIで会議を準備する記事に92回の閲覧があった日も、米国からの参照元なしの集中アクセスだったため、検索需要の証拠には使えない。
職場で『上司がまた仕事を増やした』と話すのは簡単。でも家で検索するなら『退職を引き止められたときの断り方』のような、今すぐ使える答えを探すかもしれない。愚痴は会話の燃料、検索は問題を片付ける道具なのだ。
書き手が面白いと思うことと、読者がわざわざ探すことは別。仕事論を捨てる必要はない。検索から来た人に関連記事として見つけてもらう道もある。まず調べるべきは検索表示回数、検索語、クリック率。
仕事から帰った人に仕事の記事を読ませる。よく考えると、これは仕事の二次会への招待状である。
